早く枯れたい
約2カ月ぶりのブログ更新。
ツイッターにも書いた内容なのですが、いいねが多くて嬉しかったのでブログでも書くことに。
卒論書きにカフェに行った時、近くで女子高生二人が喋ってたんですよね。
で、何があったのかは分からないのですがその内の一人が「もうほんっとサイテー!」「マジでありえなくない!?」ってずっと言ってて。もう一人はうんうんって聞いてるんですね。
彼女に何があったのかは最後まで分からなかったのですが、友人関係の愚痴っぽかったです。その後も「いやウチが考えたので絶対合ってるっしょ!」とか「◯◯が××ってあのタイミングで言うのマジおかしい」とか続くんですね。
もう一人も聞き役ということもあり大方「それはマジでそう」と相槌を打っている感じ。
しんどかった。
傍らで卒論書くのしんどかった。
人間かくも強い言葉で人を否定できるのか。
なぜかくも自分が正しいと信じて疑わないのか。
は?とかマジありえなくない?は相当強いよ。
おねえさん卒論どころじゃない。
なぜ若者の否定はここまで容赦が無いのか。
もちろんいくつになっても人は愚痴を言います。おじさんもおばあさんもグチります。それでももう少し相手のことを勘案していたということや我慢をした末の愚痴であることも伝えているのです。
「マジありえなくない!?」と思っていても、もう少しその解像度が高いと言いますか。
怖いなー、と思いました。
でも、中高時代って私の周りこんな感じだったなあ、とも思いました。
どうしてもムカつく!とか気に入らない!という事に対して語彙を増やさなくてもどうにかなるんですよね。大学もそんなに変わらないですけどね。
中高生の私はそういう解像度の低い負の言葉が苦手でした。
まだHSPという言葉はおろか繊細という自負もない頃の話ですが、何となく皆がバカだなーとかありえねーとか言ってる時には大体(そこまでは思えないな…でも恐らくこの場では私だけなんだろうなそう考えてるの)と思っていました。
とりあえず私ってズレてる、という所感はありました。
こんな感じなのでスクールカースト上位の子たち怖いなーと上位じゃなくてももっと穏やかな人たちに囲まれたい…と感覚的に思っていたものです。安心感ってやつですね。
私の学校では珍しく徒歩通学で、スマホも持っていなかったので間違いなく友人関係という話では置いていかれる、知らない情報も沢山あったはずなのですが、今にして思うとそれでよかったんだと思います。割と強めな子が多かった私の中高で、女子の複雑な人間関係の中で生きていける私では無いということは火を見るより明らかだったからです。
また、家でもHSPは私だけらしいので、そこに理解があった訳でもなく。
ですがいわゆる進学校だったので成績が途中で上がった事で舐められなくなるようになった(HSPの人って舐められがちですよね)。だから舐められないために成績が高くないと入れない大学に入ろうと思った。勉強ができるという認識されれば高校でも楽だし。
そして入ってしまったんですね。
思った通り、大学は穏やかなものでした。
一対一で話せて、私のけして多数派では無いものの考え方にも居場所を与えてくれる友達ができました。
良くも悪くも平和ボケしていたのです。
そんな大学出身なのになかなか就活が上手くいかなかったとドンヨリ思うことも多かったのですが、この女子高生の会話を聞いて、はたと
あ、そうか、私就活云々じゃなくて安心が欲しかったからこの大学受けたんだった
と思い出したのです。
ああ…そりゃそうだ、人間安心できる環境あってこそだよなあ…マズローの承認欲求のピラミッドとかそんな感じじゃなかったっけか…
しょうがなかったんだよなあ…
最善尽くしてたんだよなあ…
安心したかっただけだったんだよなあ…
若いって大変だよなあ…
ただ私の真の安心が学歴の中にあった訳ではなかったってだけだったんだよなあ…
女子高生2人、まさか隣の隣でカタカタPC打ってた女子大生にここまで思いを馳せられてるなんて思ってもないと思います。
この出来事をツイートした際は
小学生の時には小学生が、中学生の時は中学生が、高校生の時は高校生が、大学生の時は大学生が向いてないんだなってずっと思ってたけど多分その感覚は正しかった
若さって怖い、はやく年取りたい、良い年の取り方したいってずっと思ってる
と打ったのですが、そのツイートに共感して下さったフォロワーさんで「自分も『早く枯れたい』と思っていました。だいぶ経った今、一番自分らしく生きられていると思う」という趣旨のリプライをいただき、改めてそう思っていたのが自分だけではなかったのだと感動したのです。
ベタですが、安心はやはり「わかってもらえた」という心の中にあるのだなあ…と思わされた瞬間でした。
今回のタイトルはこの言葉から来ています。
あー、早く枯れたい。
「枯れてる」人たちか、「枯れてるヤツもそれはそれで良い」と言ってくれる人と一緒にいたい。