いごこちのありか

就活を経てHSPの存在を知った者です。よろしくお願いします。

学生時代が終わる

まず、これを読んでほしいです。

https://p-dress.jp/keyword/key_4489

ヒラギノ游ゴさんという方の文章です。

今回のブログは、これが刺さる方だけ読んでもらえればいいかなあ、という感じです。というかこの記事が今回私が言ってる事の上位互換なのです。

 

卒論を書き終わって、製本に出しました。

あとは明日完成品を取りに行って大学に提出すれば私が大学ですることはもうありません。

 

製本業者さんの「ごくろうさん」がなんだか心に染みる。

 

学生時代の終わりです。

「早く歳とりたい」と思って久しい身ではありますが、ああ、終わるのか、という感覚はありました。

 

勉強が何かの指標になっていた時代の終わりです。

私にとっては、自分にとって大事なことは何か考えはじめるタイミングが今なのかなという感じです。

仕事や一人暮らし(すぐではありませんが)が始まれば、日常がその二つに染まることでしょう。

生活の中における親の比率も減ることでしょう。

 

やっぱり、一つ屋根の下にいる人には、分かってもらいたいと思ってしまうものです。 

旅先でも再三思ったことなのですが、親に分かってもらおうとしないだけで心が凄く軽くなるんですよね。でもって、親も別に悪気があって分からない訳ではない。本当に分からないからそう言っているだけ

親以外に分かってもらおうとするとアプローチや対象も変わってきますしね。このブログもその手段の一つです。

 

そんな事を考えている時、偶然上で挙げた連載を見たんですね。

 

卒論を出し終わった後、ふといくつかの「救われなかったこと」を思い出しました。それも普段思い出さないような幼稚園の時のことを。

 

2歳下の弟がいるのですが、彼が幼稚園の年少で私が年長だった年の母の日、母が弟の方に行って代わりに父が来たこと。

道理で考えたらそうもなるだろうという話ではありますが、やはり悲しかった。父も先生もオロオロしていた。

 

一緒に遊んでいた友人が間違えて私のゲームのセーブデータを消してしまった時のこと。

友人とそのお母さんはそれはもう申し訳無さそうにしていたのですが、逆にいいよというタイミングを逃して泣き止めなかった。

 

どちらもあまり泣かなかった私が珍しくギャンギャン泣いた記憶として残っているのですが、その時の「どうしようもなかった感」がふと思い返されたのです。なまじ悪者がいなかったから負の感情を出しきれなかった記憶とも言えるかもしれません。

 

あの時どうしてほしかったのだろうか。

そしてなぜ今そんなことが頭をかすめたのか。

 

社会人になる前に、今一度、子供時代を清算するタイミングなのかもしれないです。

 

私は、一緒にいて楽しかったり、落ち着いたり、話し合えたり、理解しようと思えたり…私の言葉で話せる人と一緒にいたいです。

未消化の過去を振り返ったり、そのためにどんなことをしたい?何をすればいいと思う?と考えることで、まずは私と一緒にいようと思うのです。

ありがたいことに友人たちとの予定もあるので、そういう話をできる機会があればしたいなあ…