いごこちのありか

就活を経てHSPの存在を知った者です。よろしくお願いします。

近況報告 こもるのはいいけど家を出たい

ずいぶんお久しぶりの投稿になりました。

 

さて、私のツイートを見ている方は大体わかると思うのですが、最近の私は口を開けば

家を!!!!出たい!!!と言葉を変えては言っている状態です。

カップルが様々な言葉で互いへの好きだよを語るがごとく、親への恨み言、(コロナに伴う)一人時間は楽しいということ、入社先も悪くないなという旨の言葉、すべてが

「家を出てぇんだよコノヤロー」

という意味合いであります。

人は本当に欲するものを強く意識しながら生きると強くあれるという言葉がありますが、今の私にとってはそれが「家を出る」なわけです。

 

気が滅入っている時などのツイートはもしかしたら見ている方にもピリピリした印象を与えてしまっているかもしれません。

そういう場合は躊躇なくブロックなりミュートなりフォロー外すなりしてくださいね。

私は自分の身を大事にするためだったり、誰かに見てもらいたいという余裕の無さでツイートしているだけなので、万一私がTLに上がったら見ていてつらいということがあればそこはご自身を優先してください。本当に。

 

さて、今私は入社してから1月ほど経ち、慣れないながらも研修に精を出しているところです。おおらかな同期や優しい先輩たちにも恵まれ、業務内容についてもひとまずは目先のものを頑張ろうと思えているところです。仕事面に関しては本当にありがたいなあ…と思っています。

また、趣味の方面でここのようにツイッターから派生したブログを始め、それはそれで楽しんでいる状態です。(こうしてみると私はやはり自分を発信するのが好きなんですね)

入社までのアルバイト先からのお給料や初任給も入りました。

 

すごいハッピーじゃないですか。ハッピーなんですよ。

私の人生、進展しているじゃないですか。

ついでに言うとこの新型コロナ大流行全世界おこもり待ったなしの日常も内向的である私には、少なくとも性格の面だけで言うとほぼほぼノーダメージでありました。むしろ趣味の充実に加え歓迎会がなくなったり研修が時短(本社には赴きますが)になったりともうね、ホントに人間関係の煩わしい部分だけが取り払われ、端的に言って最高です。

 

ただ家にいるのだけが辛い。

他に辛いことないからなのかもしれませんが笑

私は今実家で両親と3人で暮らしているのですが、まぁ家族と居合わせる時間が長いことのストレスたるや。

母は一人で黙々と何かに興じていられる性格なのですが、父は外に出て人に会うことを楽しみとするタイプなのでこの自粛期間が私以上にストレスでならないんだろうなぁ、という感じです。

 

今は私は家の近くのカフェにいるので父も大変ねみたいな感じで書けていますが、それも本当に家を物理的に出ているからできることで、家にいると本当に侵食されてしまいそうな勢いです。会社や趣味の場での交流でのびのび安心している時の心を家に持って行ってしまうといつそのイラ立ちをどんな形でぶつけられるか分かったものではありません。なまじ家以外の場所でガードが薄いか無しの状態でいられる分、そうでない場所への免疫が薄くなっているというのは否めません。

 

とはいえこのご時世、飲食店も営業していても夜遅くまではやっていないので、夜はもてあましていますね。一人で散歩したりしています。

 

そんな状態で、私の最近のツイートはもっぱら家を出たいという旨のものになっているのです。

 

カフェにいると思うのですが、家の外にいると自分がご機嫌斜めでもそれを親のせいにしなくなるんですね。むしろ、だれのせいにもできなくなるからじゃあどうすればいいかなって考えるようになる。

人は変えられないので、家で気分がふさいでしまうと

「親に愛されたかったなぁ…ホラ、あの時も…」

みたいなそれを考えてどうするんだ(n回目)という思考回路に陥ってしまうんですよ。

「親も一人の人間。どうしても相性はある。私はもう自分の居場所を自分でさがせるんだから、大丈夫。居場所はある。」

という考え方をするのが大事だと頭ではわかっていても、どうしても眉間にしわがよってしまいます。

 

でも、ひとたび家を出ると大体きちんとあるものにフォーカスできるようになるんです。今なら、「ブログありがとう、ツイッターありがとう、内向的でいやすい情勢ありがとう、会社ありがとう、オンライン飲み会に誘ってくれた友人ありがとう」

…というように。

 

きっと私は近いうちに家を出ます。

お金は十分に溜まったからです。

もしかしたらコロナが完全に収束する前かもしれません。

そこはなんとも言えません。

でもきっと家を出れば幸せになれると思います。

というか、自分のこと幸せにしてやるって今よりも強く思えるようになると思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

学生時代が終わる

まず、これを読んでほしいです。

https://p-dress.jp/keyword/key_4489

ヒラギノ游ゴさんという方の文章です。

今回のブログは、これが刺さる方だけ読んでもらえればいいかなあ、という感じです。というかこの記事が今回私が言ってる事の上位互換なのです。

 

卒論を書き終わって、製本に出しました。

あとは明日完成品を取りに行って大学に提出すれば私が大学ですることはもうありません。

 

製本業者さんの「ごくろうさん」がなんだか心に染みる。

 

学生時代の終わりです。

「早く歳とりたい」と思って久しい身ではありますが、ああ、終わるのか、という感覚はありました。

 

勉強が何かの指標になっていた時代の終わりです。

私にとっては、自分にとって大事なことは何か考えはじめるタイミングが今なのかなという感じです。

仕事や一人暮らし(すぐではありませんが)が始まれば、日常がその二つに染まることでしょう。

生活の中における親の比率も減ることでしょう。

 

やっぱり、一つ屋根の下にいる人には、分かってもらいたいと思ってしまうものです。 

旅先でも再三思ったことなのですが、親に分かってもらおうとしないだけで心が凄く軽くなるんですよね。でもって、親も別に悪気があって分からない訳ではない。本当に分からないからそう言っているだけ

親以外に分かってもらおうとするとアプローチや対象も変わってきますしね。このブログもその手段の一つです。

 

そんな事を考えている時、偶然上で挙げた連載を見たんですね。

 

卒論を出し終わった後、ふといくつかの「救われなかったこと」を思い出しました。それも普段思い出さないような幼稚園の時のことを。

 

2歳下の弟がいるのですが、彼が幼稚園の年少で私が年長だった年の母の日、母が弟の方に行って代わりに父が来たこと。

道理で考えたらそうもなるだろうという話ではありますが、やはり悲しかった。父も先生もオロオロしていた。

 

一緒に遊んでいた友人が間違えて私のゲームのセーブデータを消してしまった時のこと。

友人とそのお母さんはそれはもう申し訳無さそうにしていたのですが、逆にいいよというタイミングを逃して泣き止めなかった。

 

どちらもあまり泣かなかった私が珍しくギャンギャン泣いた記憶として残っているのですが、その時の「どうしようもなかった感」がふと思い返されたのです。なまじ悪者がいなかったから負の感情を出しきれなかった記憶とも言えるかもしれません。

 

あの時どうしてほしかったのだろうか。

そしてなぜ今そんなことが頭をかすめたのか。

 

社会人になる前に、今一度、子供時代を清算するタイミングなのかもしれないです。

 

私は、一緒にいて楽しかったり、落ち着いたり、話し合えたり、理解しようと思えたり…私の言葉で話せる人と一緒にいたいです。

未消化の過去を振り返ったり、そのためにどんなことをしたい?何をすればいいと思う?と考えることで、まずは私と一緒にいようと思うのです。

ありがたいことに友人たちとの予定もあるので、そういう話をできる機会があればしたいなあ…

早く枯れたい

約2カ月ぶりのブログ更新。

ツイッターにも書いた内容なのですが、いいねが多くて嬉しかったのでブログでも書くことに。

 

卒論書きにカフェに行った時、近くで女子高生二人が喋ってたんですよね。

で、何があったのかは分からないのですがその内の一人が「もうほんっとサイテー!」「マジでありえなくない!?」ってずっと言ってて。もう一人はうんうんって聞いてるんですね。

彼女に何があったのかは最後まで分からなかったのですが、友人関係の愚痴っぽかったです。その後も「いやウチが考えたので絶対合ってるっしょ!」とか「◯◯が××ってあのタイミングで言うのマジおかしい」とか続くんですね。

もう一人も聞き役ということもあり大方「それはマジでそう」と相槌を打っている感じ。

 

しんどかった。

傍らで卒論書くのしんどかった。

人間かくも強い言葉で人を否定できるのか。

なぜかくも自分が正しいと信じて疑わないのか。

は?とかマジありえなくない?は相当強いよ。

おねえさん卒論どころじゃない。

なぜ若者の否定はここまで容赦が無いのか。

 

もちろんいくつになっても人は愚痴を言います。おじさんもおばあさんもグチります。それでももう少し相手のことを勘案していたということや我慢をした末の愚痴であることも伝えているのです。

「マジありえなくない!?」と思っていても、もう少しその解像度が高いと言いますか。

 

怖いなー、と思いました。

でも、中高時代って私の周りこんな感じだったなあ、とも思いました。

どうしてもムカつく!とか気に入らない!という事に対して語彙を増やさなくてもどうにかなるんですよね。大学もそんなに変わらないですけどね。

 

中高生の私はそういう解像度の低い負の言葉が苦手でした。

まだHSPという言葉はおろか繊細という自負もない頃の話ですが、何となく皆がバカだなーとかありえねーとか言ってる時には大体(そこまでは思えないな…でも恐らくこの場では私だけなんだろうなそう考えてるの)と思っていました。

とりあえず私ってズレてる、という所感はありました。

 

こんな感じなのでスクールカースト上位の子たち怖いなーと上位じゃなくてももっと穏やかな人たちに囲まれたい…と感覚的に思っていたものです。安心感ってやつですね。

 

私の学校では珍しく徒歩通学で、スマホも持っていなかったので間違いなく友人関係という話では置いていかれる、知らない情報も沢山あったはずなのですが、今にして思うとそれでよかったんだと思います。割と強めな子が多かった私の中高で、女子の複雑な人間関係の中で生きていける私では無いということは火を見るより明らかだったからです。

 

また、家でもHSPは私だけらしいので、そこに理解があった訳でもなく。

 

ですがいわゆる進学校だったので成績が途中で上がった事で舐められなくなるようになった(HSPの人って舐められがちですよね)。だから舐められないために成績が高くないと入れない大学に入ろうと思った。勉強ができるという認識されれば高校でも楽だし。

そして入ってしまったんですね。

 

思った通り、大学は穏やかなものでした。

一対一で話せて、私のけして多数派では無いものの考え方にも居場所を与えてくれる友達ができました。

良くも悪くも平和ボケしていたのです。

 

そんな大学出身なのになかなか就活が上手くいかなかったとドンヨリ思うことも多かったのですが、この女子高生の会話を聞いて、はたと

 

あ、そうか、私就活云々じゃなくて安心が欲しかったからこの大学受けたんだった

 

と思い出したのです。

 

ああ…そりゃそうだ、人間安心できる環境あってこそだよなあ…マズローの承認欲求のピラミッドとかそんな感じじゃなかったっけか…

しょうがなかったんだよなあ…

最善尽くしてたんだよなあ…

 

安心したかっただけだったんだよなあ…

若いって大変だよなあ…

ただ私の真の安心が学歴の中にあった訳ではなかったってだけだったんだよなあ…

 

女子高生2人、まさか隣の隣でカタカタPC打ってた女子大生にここまで思いを馳せられてるなんて思ってもないと思います。

この出来事をツイートした際は

 

小学生の時には小学生が、中学生の時は中学生が、高校生の時は高校生が、大学生の時は大学生が向いてないんだなってずっと思ってたけど多分その感覚は正しかった
若さって怖い、はやく年取りたい、良い年の取り方したいってずっと思ってる

 

と打ったのですが、そのツイートに共感して下さったフォロワーさんで「自分も『早く枯れたい』と思っていました。だいぶ経った今、一番自分らしく生きられていると思う」という趣旨のリプライをいただき、改めてそう思っていたのが自分だけではなかったのだと感動したのです。

ベタですが、安心はやはり「わかってもらえた」という心の中にあるのだなあ…と思わされた瞬間でした。

今回のタイトルはこの言葉から来ています。

 

あー、早く枯れたい。

「枯れてる」人たちか、「枯れてるヤツもそれはそれで良い」と言ってくれる人と一緒にいたい。

 

訳あって旅に出た

遡ること一週間ほど前、ようやく内定が来ました。

長かった。これで就活生としての自分にオサラバできる。

嬉しいとかより、とにかくせいせいしたという感じです。

そしてその内定の前後のエピソードとして欠かすことのできない10月いっぱい行ってきた旅行について書いていきたいと思います。

 

内定が来ました、と自身のtwitterで報告するとありがたいことに久しぶりに会おう!と言ってくれた人がチラホラいました。

そして彼ら彼女らと会って話をすると、旅行の話にもなるんですよね。お土産も渡してるし。

で、どういう反応されるかというと、決まって

 

なぜその時期に行った????????

 

ってなるんですよね。

いや、当然だと思います。だって、2年も就活していて決まってない中で1月強も旅行行くっておかしいですよね。普通ないですよね。私も飛行機乗ってるとき「私何やってんだろ…」ってなってました。

アメリカとヨーロッパを転々としてたんだよ~と言ってすごい!楽しそう!と言われるのも定石ですが、なぜ?と聞かれてそこに航空券があったから(笑)としか返せない自分自身に対し、段々歯がゆくなってきたのです。

 

次から会う知人にはキッチリ事情を説明するのだ…!

(笑)でもいいけど、そうじゃない部分もあったと、まずは私が知ることからだ!

 

まず航空券はだいぶ前に行きと帰りの便だけ取っていたんです。

さすがに10月にもなれば進路くらい決まってると思ってたんで、就活一区切りついたら詳細練ろうと思っていたんですね。

ただ日程が近づいてくるにつれて

(本当に旅行までに進路決まるのだろうか…いや、決まる兆しが見えないな…)

となってくる。それで、そもそも旅行に行くべきかどうかも凄く悩んでいたんですよね。

 

でも結局一月くらい前に行くと決めました。

環境を変えなければだめだな、と思ったからです。

 

 

長くに渡る就活でボロボロのメンタル。

学内学外自分の知っているツテは頼り切ってしまった。

なにより、家にいても心が休まらない。むしろ辛い。

友人は大体社会人だし、会うにしても何だか申し訳なくて声をかけられない。

「家にいるのが辛い」も「就活が辛い」も内容としてヘビーじゃないですか。

ましてや初めて会う人に話すような内容でもない。

サークルやバイトにも限界があるし、対外的に就活生にしかなれないという環境があまりにもしんどかったんですよね。

 

それで結局

だったらもう旅行行っちゃうか。ってなったんです。

 

月単位で就活からも親からも離れられるなんてサイコーじゃん。

どうせ今までの生活で出ていた自分の像で就活しても成果上がらないんだ、一人で異国の地に行けば自ずと何か出てくるだろ。

 人間、失うものがなくなった時は潔くなるものなのかもしれません。

 

で、実際旅行に行こうと吹っ切れてからの方が日本でも元気出ました。

宿手配したり現地の事調べたりとやることが出来たのが嬉しかったですし、自分の動きでなにか前に進むものがあるという行為自体が新鮮でした(それだけ感覚が麻痺していたということですね)。

内定という形ではなくとも仕事をする上で考えが似ていると思える人と会えるようになったり。

 

あと、これは決まったから言える事なのですが、就職する会社の方と初めて会ったのは旅行直前で、面接の日程を決める段階で

「実はこれから一月ほど旅行で東京を離れまして…」

と言った際、

「あぁー楽しそうじゃない、行ってきちゃいなよ。人事には伝えておくから日程だけ決めてね」と言ってもらえたのです(結構偉い方だったのです)。

自分で決めたこととはいえ完全に想定外でした。

そこまで言ってくれる会社、もとい人もいるもんなんだなぁ、ここにご縁があったらいいなぁ…とうっすらと希望を残して旅に出られたというのは、とても幸運だったと思います。

 

そんなこんなで、旅行から帰るころには

まぁあの会社ダメだったらワーホリか海外インターンでもするか

くらい開き直っていましたし、そのメンタルで面接にも臨んだのが良かったのでしょう。

 

就活に関しては今もまだ振り返っている最中です。

ですが、私のこれからについて考える大きな材料になった出来事であることは違いありません。

今はまだまとまりきっていませんが、とりあえず目下はご縁をくれた企業で頑張って、ダメだったら海外でも行くか、という感じの社会人になろうと思っています。

 

 

 

わたしのありか

今回は私の個人的な性格について。独り言みたいな記事です。

ツイッターやってて思ったんですけど、おそらく私はHSP単体ではないんですよね。

なんか、目的があると途端に繊細じゃなくなるんですよ。

 

例えば、金欠だから稼がないとという場合。

それまで

上手く行かなかったらどうしよう…とか

私なんかにやれるだろうか…とか

気にしてたのが嘘のように、

ワタシ カネ カセグ バイト サガス イイアンケン ドコダ

くらいの潔さでバイトの検索かけて気づいたら申し込みのメール送ってたりするんですよ。

上手くいかなくても 

あ、そーですか とか あ、すみませんね 位で終わる。

しかも対人的にも変わる。

万人に対して外交的になるとは言いませんが、今回ならバイトの申込先のような目的を遂行する上で必要なコミュニケーションがバリバリとれるようになるんです。

旅先でも民泊してたんですけど、その手配とか現地でホストと話すのとか全然苦になりませんでした。

我ながら常にそのモードであってくれよ…と思わずにはいられないです。だって私はそういう時の自分が嫌いではないので…

 

ただ厄介な事にこのモード、かなり追い詰められた時というか誰かがどうにかしてくれそうな時には発揮されないんです。

きっと、私が動かなくても衣食住が補償される「実家」って環境と相性最悪なんだろうなあ。。

これに関しては本当に親は悪くないです、私があまりにも子供として養ってもらう身分であるのが向いていない性格だという話なんだと思います…

 

最近人格が変わったという訳ではありませんが、自分の奥底に存在しているとうすうす認識してはいた上記のような人格が就活と旅行を機に表に出てきた気がします。

 

もともとHSPとかHSSとかそういう括りで自分を縛るのはよくないと言いますよね。

私はイマイチ自分が見えずに23まで来てしまったのですが、最近は私の自分探しの舞台は就活、というだけだと考えています。

そしてその一環として仕事とは直接関係しなくともHSPなどの概念・ラベリングの存在を知ったり、SNSを通じて他の方の存在を知ったりしている。

この就活という土俵での自分探し(?)での経験が

将来少しでも役に立てば、浮かばれるなあと思いますね。

相談うまいへた

 

お久しぶりの更新になります!

今回のテーマは「相談下手」について。

実は、昨年卒業を延ばすことを決めてから「人に相談できる人になりたい!」と努力していたんですよね。

で、勇気をもって相談というものを人に投げかけてみようと試みていたのです。

最近はそこで学んだことを忘れがちだな…と感じることも多いため、備忘録として文章にしてみようと思った次第です。

 

 

まずは失敗例

前提として、私が相談に乗ってもらったのはすでにある程度仲が良い友人たちでした。

相談内容はもちろん就活の話。

みんな就留なんてしたことないのによく付き合ってくれたなと思います、ほんと。

 

でも、相談ってすればいいものではないんですよね。

「相談をする」こと自体は大きな一歩だったのですが、

結局、私が要領を掴む前にみんな卒業しちゃいましたね。

 

何がいけなかったのだろう、、、その理由について考えてみると、

 

どういう返答が帰ってきてほしいのかが自分でもわからない

 

これなんですよ。

悩みがあって、それを一人で考える(自分が自分の相談役になる)とわかるんですけど、どう反応してもらえるかが自分でもわかっていないケースがとても多いんですよね。

 

こういう状態だと、周りが周りなりに共感しようとしてくれたり、考えて何かを言ってくれても

「うーん…」

としか言えない。

周りの親身さが申し訳なくなってくるし、言えない自分にも情けなくなってくるし…

何か、違うな…となってしまったんですよね。

 

成功例

一方、きちんと相談してきちんとスッキリできる人は何が違うのか。

一言でいうと「分かりやすい」んですよね。

本人がその時どう思ったのか。怒ったとか悲しいとか。

本当はどうしてほしかったのか。

話す中で、その二つが明瞭なのです。

なので聞いている側も共感や励ましがしやすいのです。

ついでに言うとこういう話し方ができる人は「人は話せば聞いてくれる」という成功体験を積んできているんで、相談するって行為自体にも抵抗が無いんですよね。つよい。

 

なにが違うのか

相談上手の友人のうち一人と話をしていると、

「え、悔しい!とか怒った!ってその場で出てこない?」

って言われたんですよね。

衝撃でした。出てこないよ私には。

そもそも相談しやすい感じ方をする人とそうでない人っているんだ、と悟った瞬間でした。

これは本当に生まれつきのものなんだと思います。肌や髪の色みたいなもの。

 

例えば、誰かにイヤなことを言われた!という場合。

 

相談がうまい彼女だと、

「そりゃ私にも落ち度はあったけど、言い過ぎじゃない!?私だってああ言われるとやる気無くしちゃう」

みたいな言い方になるのですが、私だと

「まぁ私にも落ち度はあるからね。んー、でも気にしないようにしても気にしちゃって…

この仕事は頑張りたいけど自信なくしちゃうな」

みたくなるんですよね。

 

おわかりでしょうか。両方とも言っていることは同じなのですが、友人の話しぶりの方がまだ励ましぶりがあるんです。

 

結局どうすればいいのか

以上の内容から私が出した結論は、

「人に相談する時は

  • どう思ったのか
  • 本当はどうあってほしかったのか

を明らかにしてから相談する」です。

 

なにかうまくいかなかったことがあった時、彼女みたく思ったことを無加工で発してもどうにかなる人と私みたくある程度一人で考える時間を設けて整理する必要がある人は両方いるのでしょう。

そして、それは生まれつきのもの。

あまり、私みたいなタイプが

「なんで私は彼女みたくうまく人に相談できないんだろう…」

と思うのはよくないですね。不毛です。

 

それに一人で考えているうちに気づいたら自分で自分を慰める作業が片付くかもしれません。

 

相談というのはしたらどうにかなるわけではない。

結局自分が一番自分の良き相談相手だったなんてことはザラだと思います。

もし、それでもこの人には相談できる…!という人がいるのであれば、心からその貴重な存在に感謝することが私たちにできるせめてものことでしょう。

 

最後になりますが、この友人はありがとうとごめんなさいがきちんと言える子です。

私はそんな彼女をとても素敵だな、と思うのです。

…そして、彼女には私の相談に乗らせないほうが互いの為だな、とも。

空港と温泉

空港で乗り継ぎをしていた時のこと。

 


日本語が聞こえない空港。

色々な肌や髪の色をした人がいる空港。

 


圧倒的に非日常の空気です。

とはいえ一日足らずでも自分がいわゆる「ガイジン」であるという状況には慣れるもので。

 


というのも、色々なことをしている人がいるんですよね。飛行機での寝る姿勢とか、空港内での待ち時間とか、普通の日常生活ではしないような姿勢をしているんです。そしてそれを誰も気にしていない。

地べたに座って充電コードを指していても、ヨガのようなことをしていても、気に留められないんです。

 


元々音や光にすごく敏感なたちでもないから言えることなのではあるのですが、良い意味で鈍感になれますね。

旅の恥はかき捨てって言いますし。

 

この気にしなさ、何かに似ているなと思いました。

そう、温泉だな、と思ったのです。

 

私家の近くの銭湯や温泉にけっこう行くんですけど、そういうところでの鈍感さに近いんです。

みんな裸でウロウロしてるのに誰も気にしない。

あとは場所が場所だけにみんな日頃より優しい。

 


私にとっては空港が非日常の中で鈍感になる場所なら、家の近くの温泉は日常の中で鈍感になる場所なのです。

 


日頃人の顔色を伺っちゃいがちで…とか

何を言われてるか気になって…とか

HSPアカでたまに呟くような類のことがどーでもよくなる場所なんでしょうね。