揺れる自分を愛せ
今回はですます口調で
心の揺れ
についてぐるぐる考えていきます。
ブログを始めたばかりなので、どんな口調がしっくりくるのか模索中なのです。笑
HSPの人は自分が揺れることにめっぽう弱いです。
同じ出来事に触れても人の何倍も喜んだり悲しんだり、とにかくたくさん影響を受ける。
自他共に認める気分屋。
気にしいな人、とレッテルを貼られることもあるでしょう。
ただ、そのような揺れも自分の一部だと思えるようになると、なんというか、自分が自分であると言うことを実践することにつながるのではないかなと思うのです。
人より揺れる私たちがそれをこなすことって、きっとすごいことです。
例えば辛い時辛いと人に話しても、気にしすぎとか考えすぎとかそんなことを言われると、揺れている自分がなんだか恥ずかしく思います。
でも1人になってよーく考えてみると結局何が悲しかったのか…
例えば人からもっと大切にされたかったのか、
自分がふがいなく感じたからなのか、
特定の状況にいなければならないことが悲しいのか、そういう自分の言い分がだんだん見えてきます。
見えてくると何が出来るようになるのか。
そういうインナーチャイルドのような小さい自分に対し、相槌を打てるようになるのです。
あーそれが怖いのか悲しいのか怒りなのかよしよしなるほど。頑張ったね。
大人である私たちも、もし誰かに弱音を吐くとしたら受けとめてじっくり話を聞いてくれる相手を選ぶでしょう。
それと同じように、自分を慰めようとする意思をもって自分と仲良くなれるようになるとおもうのです。
慰めていると、泣いている方の自分も少しずつ落ち着いてきたり、本当はこうであってほしかったのに話してくれるんです。
ここでなら聞いてもらえる、と思って。
相手が自分であっても同じです。
そこで、考える能力を持った大人の自分の出番です。
じゃあその不安はどうすればなくなると思う?
どうすれば少しでも落ち着くかな?
本当はどうしてほしかったの?
気を紛らわせるのにこんなことしない?
そのためには、こういうことをすればいいんだよ。
具体的な解決策を提示するのはこのフェイズからです。
少なくとも私の中のギャン泣きチャイルドはここまでくると少なくとも最初よりかは多少なりとも落ち着いてきます。
自分の中では一本通っているのだ…それが分かるだけでも、救われるものがあるのだと思います。
…とまあ、今回は負の感情への向き合い方についてつらつらと書いてきました。
たまに自分の機嫌をとれる人はオトナという言葉を耳にしますが、それと通じるところがあるように思います。
別にHSPとか関係なく、これは誰にとってもとても難しいことだと思います。
年齢とか関係なく誰にでもできることではないと思います。
だからこそそういうことをできる人はきっと本当の意味で大人というか、自分で自分を幸せにする意思を持てる強さを持っている人だと思うのです。
他人を慮れることがスタンダードな優しい人が他人と同じくらい自分を慮る強さを持つと、きっと一段魅力的な人になるのではないでしょうか。
揺れる心を持つからこそ寄り添える人がいる。
人に寄り添える自分であるために、自分の中の揺れる心を大切にする強さを持つ。
『臆病風に吹かれて 波風が立った世界を どれだけ愛することが出来るだろう?』
と歌っています。
…この曲知ってる人が今回のこの文章読んで新たに学ぶことはあるのでしょうか。
………
深く考えるのはやめましょう。
ともかく、自分の弱さを受け入れられる人は、強いです。憂える人は、優しいです。ここまで書いてしまった以上は、憂える強さを持てる人であろうと思っていたいですね…