HSPと自覚
HSPは病気ではない。さまざまなサイトで説明がなされているけども、「生来的な気質の敏感さにより良くも悪くも感受性・五感の強い人々」の総称だというように私は解釈している。
HSPだからというだけで何かの免罪符になったり、薬や障害者手帳がもらえるわけではない。だから人に説明するのが難しい概念。
私繊細だから〜という論調でそうではない人に説明しても、面倒な奴だと思われるのがオチだろう。
しかし、自分がHSPだと認識するということはきっととても大きな事。今回はそう思う理由について書いていきたいと思う。
①今までの「ズレ」に理由がつく。
人と感覚が違う故に不思議ちゃん扱いされる。家族と合わない。出方は人それぞれだが、HSPという認識があるだけでまずそういう存在が自分だけではないことや努力不足という訳でもないということがわかる。
まず、自分が悪くないのだと知ることができるのだ。
②外交的だと装わなくなる
HSPの内向的、傷つきやすいという性質は基本的に周囲には好意的にとられない。
特に男性だと女々しいとか男なのにとか言われてしまうことを多いのではないか…と思う。
きめ細やかな観察眼や他者に想いを馳せることができるという長所の裏返しでもあるけど、この点が発揮できる機会は実社会の中ではけっこう限られてしまうのだ。
また、周囲の期待に応えようと頑張ってしまう傾向も強く、人によっては本来の自分の姿が分からなくなってしまうケースもある。
ただ、それが生まれ持ったもの(気質と言われる)と知ることで、本来の自分として生きようと人生を見つめ直すことはできるのだ。
③傾向や対策を練ることができる
便利な世の中になったもので、HSPと検索すると、良くも悪くも鋭い感受性を持っていると普段の生活でどのような事象が起きるかということが沢山出てくる。
例えば「つい聞き役に回ってしまう」という事例。
相手の気持ちに寄り添おうとする気持ちの強さ故に親身になってしまうことと、それと逆に自分の気持ちを汲むのが下手だというのが原因である。
この2つは両方ともHSPあるあるなのだ。人はどんな気持ちだろう?という気持ちの強さがHSPを聞き役にさせる。
というように、今まで悩んできたことにはメカニズムがあり、心がけ次第ではもっと自分にとって良い動き方をしようと努めることもできるのだ。
④SNSで似たような人と交流できる
便利な世の中になったもので(2回目)、TwitterにはHSPアカウントを持つ人が沢山いる。私も持っていて、あるあると思う内容にいいねしたり日頃の思いを肯定してもらえたり、HSPだと分かった上で他者と接することができる。
これはマイナーな趣味アカなどにも共通することだが、なかなか実生活ではできないことなのだ。そして趣味アカと違うのは「マイナス面でも共感し合えること」だと思う。
趣味アカが基本何かを好きというプラスのもので作られているコミュニティーなのに対し、HSPアカは自助会のようなものなのだ。
そして最近は(立地なども影響するが)交流会に参加し、実際に人と接することもするようになった。
これについては別の機会に書こうと思うが、やはり生身の人と触れ合えるというのは大きい。
そんなわけで、HSPの自分を肯定するにはまず自覚をすることからということをずーっと言ってきた。
繰り返しになるが、HSPの程度や影響の仕方は本当に人それぞれで、一つの単語でくくっていいのかわからない程だ。
私はこのブログで自分のことを書いていきたいと思っているけど、本当に「あくまで一例」なのだ。